午前中の仕事が思ったより早く終わったので
参加してきました。
今日は人前結婚式でした。
函館大学に向かって
体内記憶、看取り
半分興味があって半分は知りたくない(笑)
だって
私、お母さんありがとうって言いたくないから。
なぜ生んだの。なぜおいて行ったの?
なぜ、いじわるしていたの?
会話の成り立たない母だったから
聴きたくても、戻ってくる言葉で逆上しそうだったから
あえて聞かなかった。
けど、先日の里親会での会話の中であった自分探しの方法。
また対象者がわかれば、取り組む準備さえあれば、親子でできる。
じゃ、対象者がわからないとき、行方不明の時はどうするの?
池川、柴田両先生に質問しました。
肉体的な親は見つからなくてもいい。
里親子は、出逢うためにほかの体を借りて生れてきた親子なのだから。
自分たちの中の常識を変えれば困ることはない。
血の繋がりにこだわる必要もない。
里親子は「魂の親子になるために、出逢ったのだから」と答えてくださった。
もう一つの質問は
先月亡くなった友人を看取った。
私は、ありがとう、よく頑張ったね、大好きだよと伝えたと話した。
「行かないでと言わなかった自分のセンス、すごいと思った」
「看取り士さんがいないときに、私たちが出来る看取りは?」と聞いた。
身体が暖かいうちに、語り続けること
亡くなる瞬間に身体を触れていること
出来れば、ひざまくら、抱きしめること
楽しかった思い出をあれこれ語ること
「行かないで」と止めてはいけない。
(あの世に行けなくなるそうだ)
御臨終ですという言葉は時間が経ってからでもよいらしい。
親しい人が亡くなった時に「泣きたいだけ泣く方がいい」。
その瞬間の感情を味わうこと
そして、味わいつくしたら手放す時が必ず来ること。
涙という感じは、サンズイ(水)を流して
もとに もどす(戻す)と書く。
だからたくさん流すと、日常に戻れるというお話だった。
最初はあまり行く気持ちになれなった講演会だったけど
時間もできて、友人もそこにいて
なんとなく「行く理由」が出来て
その場所に座っていた。
帰るときは来るときに重かった気持ちが消えていた。
もし、お役に立てることがあったらと、
お声掛けをしてくださった方もいた。
いい話だったなと、思った。
今日はシンクロしやすい日だって
言ってたな。
こういうことだったんだね。
うんうん。(一人で納得)
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